Ultima forsan. もしかしたら、終わりかもしれない。天国のあやのさんより
Ultima forsan.
訳すと「もしかしたら、終わりかもしれない。」となる。次の瞬間が人生最後の瞬間になり得るということを忘れずに生きよという格言です。同様の意味を持つメメント・モリと並べて、
Memento mori, ultima forsan. (死を忘るな、もしかしたら最後かもしれない。)
と記すこともあるよう。これを心に刻もうと思った出来事があったので、書きます。
ある女性のブログを読んで
彼女は40代半ばで、水商売でバリバリ働いていました。趣味は舞台鑑賞で、休日は公演を見るために遠征するなど、アクティブな人生を送っていたようです。
そんな彼女に青天の霹靂、がん宣告。
ブログの最初の記事は、がんになった報告で、どういう経緯で判明したかが書かれていました。薬で髪が抜けた話、家族の話、印象に残ったお客さんの話など、3日に1回以上のペースでブログを更新していました。中でも私が衝撃を受けたのは、「死ぬまでにやりたいこと」シリーズです。彼女によると、
- 歌舞伎町のゴジラのホテルに泊まる(窓から顔出すとゴジラが見える部屋がいい)
- お世話になった方々、仲良くしてくれた方々にたくさん会う
- 猫カフェを2時間ほど貸し切る
- 行ったことのない四国と沖縄に行く
- 花魁に扮した写真を撮る
- フェイシャルエステに行く
- あまりひとけもなく、何を扱ってるのかわからないけど無くならないような店を経営する
- 新幹線でグランクラスにのって上京
- お気に入りの梅を2kgの樽で買う
- 母をジャイアンツ戦に連れていき、そのままドームホテルに泊まる
- 浅草で人力車観光する
- 両親にトゥルースリーパーを買ってあげる
全部驚くほどあっけないというか。店を開く以外は明日にでもできてしまうようなものです。彼女はこれらを「死ぬまでにやりたいこと」として挙げた。全部やればいいじゃん。梅取り寄せればいいじゃん。がんに侵されてできなかったのかもしれません。残念ながら「12. 両親にトゥルースリーパーを買ってあげる」が彼女の最後のブログ記事となってしまいました。最後のやりたいことが、両親への気遣いだった。美しいひとだな。ツイートもさかのぼりましたが、優しく気品があり、人への気遣いにあふれた方でした。
少なくとも最後の記事を書いた段階では次週に東京へ行く予定を入れる程度には動ける状態だったようですが、「死ぬ前にやりたいこと」のうち、実行できたのはいくつあったのかなあと思います。しようと思えばできたのに、しなかったのではないか。実際、「死ぬまでにやりたいこと」の大半は、緩やかに死へと向かう途中でまでやりたいことではなかったのではないでしょうか。ほとんど彼女は後悔を残していなかったんじゃないかな。
彼女は一日一日を大事に生き、自分の人生を生き切った人だったと思います。最期になってまで知人や親を思いやり、他人のために限られた時間を割けたのは、死が訪れるまで毎日を大切に生きていたからでしょう。
Ultima forsan. 突然最後が来ても、その瞬間に他人を思いやれるような、美しい人になれたらいいなと思います。そのためにも今この瞬間を大事に生きよう。そう教えてもらいました。ありがとう。
天国のあやのさんより